アメリカに渡った万次郎

 万次郎(ジョン万次郎 本名:中濱万次郎)は、1827年土佐国幡多郡中ノ浜の貧しい漁師の家に生まれ、1841年仲間4人とともに漁に出て嵐に合い遭難。奇跡的に太平洋の無人島鳥島に漂着。その後アメリカの捕鯨船(船長:ホイット・フィールド)に助けられてハワイ、ホノルル寄港後、万次郎だけアメリカ本土に渡る。アメリカの文明にふれ民主主義や男女平等などを学びながら10年間、捕鯨の仕事に勤める。

大度浜上陸と琉球への影響

 帰国を決意した万次郎は鎖国を続ける日本への直接の帰還を避け、1851年琉球国の大度浜(旧摩文仁間切小渡浜)に上陸する。琉球は海外との交易が盛んであり、武器を持たない平和な国であることを万次郎は知っていた。上陸後、万次郎一行は大度・米須の人々のもてなしを受けた後、豊見城間切の高安家で半年暮らし、役人の取調べを受けつつ村人との交流を深めた。通事の板良敷朝忠にアメリカの社会経済や民主主義を教え、当時の琉球に大きな影響を与えた。

日本帰国と開国への多大な貢献

 琉球滞在後、万次郎は薩摩、長崎を経て故郷土佐に帰国。その後、幕臣に登用されペリー艦隊の来航に際し通訳を務める。勝海舟・福沢諭吉をはじめ幕府高官に西洋事情を教示し、咸臨丸の訪米に船長代行として活躍する。時の徳川幕府の政策、考え方に影響を与え日本の開国、近代化に大きく貢献した。